昭和40年10月16日 15年記念大祭
こうして、ただ今、ご一緒に御霊様に、うーん、ごあいさつをさして頂いたんでございますけれども、御霊様の前に座らせて頂きましたら、もし、皆さんがこうしてお待ち受けでないならば、( ? )しかんでも、御霊様の目を覚まして、お礼を申し上げたい。そんな気持ちでいっぱいでございます。もう本当にもう、私のようなね、もう本当に、頭は悪いし器量は悪いし、どこととり得のない私、その上にもう本当に横着なお粗末ご無礼者の私のところで、私自身が助かるだけではない、家族だけが助かるだけではない、沢山の人が助かってまいりましてですね、今日、こうして15年の記念のお祭りを奉仕さして頂きました。
もう本当に、遠い所からお参りを頂いておる方が沢山ございますですけれども、本当に椛目でご縁を頂いて、やはり神様の、おー、有難さと、本当におかげの尊いことをご承知の方達ばっかりの、言わば集まりであり、集いであると、まあ思うのでございますが。それをもとでございますところの、おー、言うなら私の信心。そしてその元でございますところの私の先祖の信心。またその元でございますところの、おー、お道の信心で申しますならば、善導寺の、おー、初代、そして前親先生。それから、久留米、それからまたは福岡、そして、小倉の桂の初代松平先生のご信心が、いわゆる教祖の神様の、おー、生き生きとしたご信心、その一粒の種がこうして、沢山な、あー、実になり、実りになり花になって、おかげを頂いておるわけでございます、ね。
一粒万倍と言おうがと、一人がおかげを受けたためにも、ために、千人も万人もの者がおかげを受けるようになると、ね。一人がおかげを頂く、信心の種、この一人がおかげを頂くということはどういうようなことだろうと。その一粒の種というのはどういう種をいうのであろう、ね。沢山、信心を頂いておる方はあるのでございますけれども、それが本当の種ではなく、言うなら(しぎ?)の種であったために、子供にも残すことのできない信心は沢山ございます。
それは、あー、いわゆるご利益です、ね。おかげは頂いておりますけれども、信心を頂いていない。信心の種を子供に、または、自分の周囲にでもそれを蒔くことのできない、それでは私は本当の信心ではないと思う、ね。
私、ただ今、御霊様にご挨拶を申させて頂きます時に、ふと感じさせて頂いたのでございますけれども、私の母の、父の、私の爺にあたります。(むぎお?)の池尻家でございますが、あー、ここに後を継いでおるのが、私共の妹でございます。で、妹が現在、親子二人でおかげを頂いておりますけれども、おー、その、おー、里でございます、(むぎお?)の爺のことをぱっと私、その思わせて頂いた。
そして私にです、本当に生きた信心の種を私に蒔きつけておってくれと、ね。それが、ここ、例えば私が50年間の間の自分の信心のひとつの筋金ともなり、命ともならせて頂いた。そのことだけがひとつのとりえのように、私の心の中に蒔かれたものがです、目になり、鼻になり、してきておるということを感じるのです。それは、あー、非常にお道の信心もいたしておりましたけれども、うーん、仏教の、おー、真宗の帰依者でございました。それこそ、大根おろしでも、まあ仏教的に言えば殺生なことをしてはならないというので、もう大根にしても獲らないというようなお爺さんでした。
うーん、これは、(てなみそ?)になりますけれども、まあ私がここに、こうしておかげを頂くようになりまして、その翌年ですから、もう14年も前の話でございます。もう80にもなられるだろうかというお爺さんがご夫婦で参って見えられました。田主丸の方なんです。田主丸の港町という所に住んでおるというお爺さんなんです。
この頃、椛目で非常に人が助かりよるげな、私もいっぺん参ってみようと思いよる。椛目にあの、もと(きどう?)、ここに(きどう?)があった。小さい汽車が通ってました、ね。あそこの停留所のように、あのう、(むぎょう?)から、(よめっときとってやっとしとがおってやったが?)、あそこに無許可で登って来とって人に息子がですたいっちゅうごたるふうに話を聞かれたらしんです。そしてそのお爺さんがです、そんならどうでんこうでんいっちょ参ろうと言うて参ってみえた。
そして私はそのお爺さんから聞かせて頂いたんです。私の爺は「池尻さくたろう?」と申しました。そのまた、私の曾お爺にあたりますのが「池尻さくえもん?」と申しました。それはあの、あちらの墓に参りますと、おー、いち信者でありますけれども、代々、えー、寺の総代を務めて、それからあのう、お坊さんが頂かれるような戒名を代々が頂いておるところをみると、やはり仏教の熱心な信者であったとこう思われます。
そしてそのお爺さんが言われるのに、はあ「さくえもん」、「さくえもん?」さんの、そのう、孫でならば人が助かるはずだと言うて、実は家内と二人で参って来ましたと言われるんですね。うん。「さくたろう?」の、爺は知られない。長い間アメリカへ行っておられた。で、最近、最近その当時です、引き上げて帰ってみえられて、あるひとつの難儀な問題があって、椛目のことを聞かれた。しかもそれが「さくえもん」さんの孫であるということ、ひい孫であることが分かって、お参りしてみえたんです、ね。
あれは本当に生き仏様のような人であるって言うた。うん。あの人の所でなら助かるだろうと言うて参ってきましたと言われるくらいに、またそのこの、「さくたろう」という爺が、やはり、信心は手厚うに、私のところに、いー、(お文さま?)ね、親鸞尚人様がお書きになられたものが、こんなに厚い、いわゆる手紙になっておるのを、こう朝晩読んでおるんです。それを、おー、切ってみますとですね、19の年にそれを書き写しております、経文帳へ。それが残っております。ですからやっぱ若い時から信心が手厚かったんだろうと思うんです。
その爺がです、私が、あー、歩きに参ります、あちらに参りますと、仏壇の引き出しから必ず、親鸞尚人様の(いきだいきを?)出してくれるんです。今で言うなら、紙芝居のようにです、それをいちいちこれがどうだった、これがどうだったと、と言うて、そのう、私に話をしてくれるんです。もうそれけん、私はこんなに厚い御本、を度々のことでございますから、覚えてしまう。言わば、爺がそれを出しませんと私が催促してから、あの話をしてくれと言うて、その出し、それがまだ私の方に残っております、うん。
その爺が私に申しておってくれましたことでございます。そう言ってみりゃ、もう決して喧嘩どんしてはならんぞっち、ね。いっちょだんくらわせられたっちゃね、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ち言いよっと、痛かさようなる、腹ん立たんようなるって言われました。うん。私が小学校の何年生だったでしょうか、もうとても寒い、いー、元旦の、おー、式がある時でした。廊下に、講堂に入るために、こう並んでおる時に向こうから走ってまいります、一人の子供が私の足を嫌というほど踏んだ。
私はもう昔からもう、とにかくしもやけでいっぱいなんです。もう手も足も、あー、その、昔の小学校の先生方がですね、もうしもやけのことは覚えておって下さるほど、私、ひどいしもやけをいたしました。そのしもやけの上を、それこそ嫌というほど踏んだんです。もうそれで私がもう、もう前見てから、叩こうとし、叩き返そうとしたんですね。時にその、爺が言うたことがですね、私の心の中に甦ってくるんです。
それを思い出したんです。(?)、(したつるを?)ちょっと痛かったけれど、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と言うたことを私は覚えております、ね。もう私は大体はその、(?)ございますもんですからね、もう喧嘩したっちゃそらもう負けるかもせんのでございますけれども、私は喧嘩というものをしたことがございません。爺はもうそれを芯から言っておられる、くらわされたっちゃ、あの、喧嘩はしちゃいかんぞと言う、ね、腹が立ったけん、痛か時には、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と言いよりゃあです、腹の立たんようになると言いよりましたから、それをね、やっぱり同じことを今、思い込んでおるということです。
私はこれが信心の種でなくて何であろうかと私は思うのです。ここ15年間の間に、そらもう様々なことがございました。もう私自身、とてもこういうようなおかげを頂こうなどと、また、私が、まあ、あー、今から考えてみますとあんなことがようできたと思うくらいに一生懸命修行さして頂きよりましたけれども、それはおかげを頂きたいばっかり、ね。
私には両親がある、ね、こういう終戦後の、あの激しい中に、しかもこういう貧困の中に、もし、今、親が亡くなったら、もう目も当てられんと思いました、ね、ですから神様、どうかこの、両親が生のある間、息のある間、ね、人並の食べ物でも食べさして頂き、ね、人並の親孝行をさして頂きたいばっかりに一生懸命修行しました。もう本当にそうでした、ね、一生懸命の信心をさして頂きよりましたら、ね、そこに、だんだん、また信心の眼が開けてまいりまして、ね、これは自分の両親よりもまあいっちょ上の親があり、またその上の親がありというように分からして頂くようになり、天地の親神様の、言わばご恩徳がだんだん分からして頂くようになって、私の信心が、やや本当なことになってまいりました。
それで、私はここで初心の方が参ってまいりましてです、どんな難儀な問題をお話なさりましてもです、ね、あんた方が親不孝しようと思うとるまいけれども、親孝行しとうてたまらんち思うとるまいがって、私が。ね。親、親孝行したい、ね、けれども実際は親不孝しとろうがと、親に心配かけとろうがと、親の言うことを聞きよるまいがと、ね。
だからね、ひとつ今日から、私があなたのその難儀なことを私がお取次ぎさして頂いてお願いさして頂くから、あんたは私の言うことを聞いてくれと、ね。そして今日から本気で親に孝行しよこうしてたまらんというあんたになってくれ、必ずおかげになると私は断言いたします。ね。何故ってそれは神様が必ず喜んで下さること、からだからだと、私は信じております、ね。そういう方達がだんだんおかげを頂いてです、なるほどその親に、私共の言う、おー、様々な親という親に親孝行さしてもろうて、ね、そして、天地の親神様の御心にかなう、天地の親神様の、よい氏子にならせて頂こうというところにお道の信心は実はあるのでございます、ね。
神様の思いが分かれば分かるほど、ね、信心の、おー、御教えを頂けば頂くほどです、もう本当に毎日毎日が、これで良いだろうかとこう思います。これだけ、広大もなり無辺なおかげを蒙っておるのにもかかわらず、こういう、私は今朝からも皆さんに朝の御祈念に申したことでございますけれども、もう私はね、いつも、記念祭にはお祝詞を奏上させて頂きました。どうもお祝詞を書かせて頂く気分が出らん。何故って、その、おー、焦点がつからない。
先日から御本部参拝させて頂いて、金光様、教主の、教主様が、あー、お祝詞を奏上されました。だから、あの通りのことをあげてもいいなあとこう思ったんですけれども、それでは私のものではない。やはり、私のものでなからなければならない、ね。それで、もう来る日も来る日も今度の記念祭を奉仕さして頂くのに、ただ、にぎやかに、ね、お祭りができればよいというのであってはならないのでございますから、それを思わせて頂いておりましたらです、ようやく、来た途端になって、そのことが分からせて頂いた。
15年のことを振り返らせて頂いた。そして、私自身の信心のです、あまりにもお粗末であり、ご無礼であり、不行き届きであることが分からせて頂いて、これはもう、今日のお祭りは、ただ、私が、神様相すいませんとお詫びをさせて頂き、15年間、相すいません、相すいませんときただけに、相すいませんを言うてきたこの相すいませんというその、実体をつかんだ、ね。命がけでここのところを改まらして頂くことを、今日のお祭りに約束さして頂く以外にはない、と私は思うた、ね。
ですから、私は今日の、これだけのお祭りができます、言うならば、あー、私が御祈念をさしてもらうとか、お祝詞を奏上さして頂くということはお祭りの中心だと言われておりますけれども、その中心は神様相すいませんということだけですんだのでございます、ね。すいませんだけではない、15年かかってできませんでした、改まりということにつきましても、お粗末ご無礼でありましたことをです、お詫びすると同時に、ここのところを今日からは、ただ今から、本当に、命がけで取り組ませて頂いて、改まらせて頂くことを神様にお誓いさして頂くのでございますから、あんなに簡単な時間ですんだわけでございます、ね。
「信心は日々の改まりが第一」と、ね、それこそ何べん何百ぺん頂いたか分からんのでございますけれども、なかなか相すいません相すいませんというお詫びだけをいたしておりますけれども、そのお詫びが神様に通うていない。私共が芯から神様相すいませんとこう、心からお詫びをするだけでも気持ちがいいですね。自分の非を悟る、自分の非を悟ると言うがですね、もう実を言うたら一切が私が悪いのです、ね。
ですからそこんところを本当に私が分からせて頂いたら、子供じゃあない、ね、家内じゃない、さして頂きましたら、神様がです、こちらをこう、向きば変えて下さるような感じがいたします、ね。もうこに、口ばっかりでもう、いやばってん今日んとはほんなごとのごたる。芯から相すいませんて言いよるもんじゃから、神様がこちらを向きをなおして下さる。言うならお扉を開いて下さる、ね。
ところがです、私共が口でお詫びをし、心からお詫びをしただけではです、心からすいませんと言うたからと言うだけではです、言わば、こちらの方の向きを変えて下さっただけにすぎないのでございます、ね。すいません、本当にすいませんでしたと、ね、今日からは改めますから、今日からはいっちもいたしませんからと。という、私は神様への誓いの言葉が出て、初めて神様が受けて下さるんじゃないかと、ね、ただ私どんすいませんと頂きゃあ、こちらを向いて下さるだけ、ね。
私共も、本気で改まらしてもらう。改まるというところからです、「信心とはわが心が神に向うのを信心というのじゃ」と仰る、私共の心が、ね、神様へ、神様へと向こうていくことができるのです、ね。私共は信心ができたから有り難いというわけでもないのでしょうけれどもです、もう本当に、いー、私はもう、(ほけーのごとして?)、このように、もう真剣にもの言うたらもう(なにがそもできん?)、(笑)。
もう本当にそうです、御祈念どん本気でしよったら大声あげて泣き出そうごとなってくる、ね。「真に有り難いと思う心すぐにみかげの受け始め」と仰る、ね。それはそのまま真に相すいませんということは、すぐそのまま神様への交流ができることであり、おかげを頂く心であるとこう思います。どうして有り難くなれんだろうかと。努力なくしてから有り難くなれはいたしません。
ただ、有り難いお話を頂いて、ね、涙が流れておるというのならば、それは浪花節やら講談を聞いておっても、ね、涙が流れます、ね。そういう涙ではいけんのです、ね。私は例えばこう私の、言うなら、あー、まあ懺悔話のような話を聞いて下さって、皆さんが真に、例えば本当に、先生だけじゃないな、私もそうだったなあと気付かれて、相すまん私であったと、ね、して、神様にお詫びをそのことを申し上げるだけではなくて、ほんに、今日、記念の大祭を境にそのことを改まらして頂きますと言うて、皆さんがお誓いができるような(ほこ?)の状態になられるなら、ね、恐らくここに目が見えない方があるなら、帰りには目がが見えるでしょう、ね。
足が立たない方がおられるなら、帰りは足が立ってお帰りになれるでしょう、私でも確信いたします、ね。神様と交流することなのですから、信心とは、ね。本当に私共がです、どこまでも神様に向かって信心を進めていくということは、ね、どこまでも限りなく、改まらして頂くという、ね、その、改まらして頂こうという一生懸命の願いを神様が、( ? )、お聞きとりを下さりまして、ね、神様のお聞き届け下さったそのお返しが私共の心の中に頂けるところの喜びであり、有り難いというものであると私は信じます、ね。
私のような、あー、信心が15年続かせて頂いて、そして皆さん方たくさん、んー、助かることができられるような、いわゆるここで生まれてまいりまして、ね、だから、現在の状態ではやはりこの状態、ね。ですから、私はもう一段と信心を進めさしてもらい、いよいよ相すまん私であることの自覚に立たしてもろうて、ね、その改まりに精進さして頂く時に、神様は次にはまた、こういう助かっていかれる場と申しますか、ね、おかげの受け物が大きくなってくるだろうとこう思います。
最近、うーん、皆さんもご承知でございますように、合楽の地に、椛目のお広前がご造営中でございます。どんなに考えましても、ね、とても、おー、人間技でできることではないようなことが、もう私始めの間申しておりました。そんなことができるなら、もうそれこそ世紀の奇跡と言うて私は言いよりました、ね。その時には半分ぐらいな、あー、予算で話があっておりました。その半分のお金ですら私はできるなら世紀の奇跡だと言うておりましたが、それを上回るも上回るもちょうど、その倍額に現在ではなっております。
ところがです、それがだんだん、(あきせんで?)、もう形の上に現れてきておるということなんだ。私は先日、2、3日前に、あのう、鉄骨が上がります時に、先生見とってくれと言われるもんですから、えー、あちらへまいりましたら、お見事である。中に入ってみたら広々とした、あー、所でございますがです、ね、もうそれは私の信心が、あの、お広前に釣り合うような、信心がこれからなされていくならばです、この次のご大祭は、あのお広前にやっぱり一睡の余地もないような、難儀な氏子が、または助かり、信心を分からして頂くことの喜びを求めて、あのお広前に集われることであろうと私は思います。
私の信心がもし、このままで止まるならやっぱりこれだけ。今度は100畳近いお広前でございます。もう本当にこうやって、お祭りいたしましても、本当に不行き届きなことでございます。部屋がないようなもんですからね。もう参拝教師の先生方なんかもおい出て頂いておるんだけれども、先生方にここにおって下さいという部屋がない。それが今日ではもう本当に、えー、300坪近い、いー、坪数で、えー、のお家が建つのでございますから、うん、本当に今度は、あー、楽になりましょうけれどもです、ね、それでもやはり私の信心がだんだんおかげを頂いてまいりますならまた、ここが狭うなったというようなことになってくると私は思います、ね。
なら、私の信心がどういうふうに垢抜けしていくかということはです、大したことはできませんとただ今も申しますように、頭は悪いし、器量は悪いし、大して魅力のある男でもないのですから、ね、けれども、私はね、限りなく自分というものを見極めていけれるということだけは、確信いたします。今、これだけのことが分かったけれども、ここが分かったらまた次にです、私自身の汚いところが分かってくるにちがいはない、相すまん私であることが分かってくるにちがいはない。恐らく一生涯そのことをそのこととして、修行とさして頂いて取り組んでいくことでございましょう。
そして、毎日がやはり、お詫びを土台につきるような日々であることで、だと私は思うのでございます、ね。ところがです、もう芯からのお詫びに、ただ今申しますように、改まりが伴う時に、神様はそれは信心の、おー、ね、信心の、おー、おかげを頂いて有り難いと言うのではないけれども、神様相すいませんという、そのお詫びから生まれる喜びであってもです、神様は私共だけではない、ご縁を頂いて次々と訪ね求めて見えられる方達に、求めるものを与えられれる、おかげが展開してくるのであろうと、まあ思うのでございます、ね。
15年の、おー、記念祭を、おー、記しまして、私は今朝から神様にそのことばかりをお願いし、また、本気で命がけでそのことに取り組ませて頂こうと思っております、改まりのことに、いー、ならせて頂かなければなりません。どうぞ、皆さん、うーん、これは皆さんのことですから、私は言うとこなかと仰ればそれまでですけれども、ね、まあ私にあやかって下さって、椛目にご縁を頂いておるのでございますから、ね、先生もその気なら私共もその気になってという、御心になられて、おかげを頂かれて、そして、私が、ね、先祖から頂いておるところの信心の種、私のお道の信心の、おー、もとであるところの親先生。また、その先代、そして久留米、または福岡、小倉という手続きの先生方の御信心の種を私が頂いて、ね、いよいよその信心の開花と同時に、結実のおかげの頂けれますことをです、願わして頂くなら頂くほどに、本気で改まらして頂かなければならんと、まあ思うておるような次第でございます。
うーん、合楽の、おー、教会が、お広前が御造営になりましたら、同時に、先日から、金光様からお許しを頂きまして、これから教会にしてもよいというお書付を頂いておるのでございます。もちろん、うーん、長男の名義でございますけれども、ね、えー、あちらへ参りましたら早速、まあ、あー、何かをしますか、あー、合楽、うー、金光教合楽布教所ということになるだろうと思います。今日まででもやはり私は、あー、その、おー、教師でもなからなければ教会でもございませんから、言うならばいち信者でございます。だから、いち信者の所でこれだけ集まるということは、やはりこれはやや日本一的なものでなかろうかと思うんです。
いつも善導寺の親先生が頂いてから、宅祭りを年に一回頂くんです、ね。ですからもう宅祭り、いー、宅祭りでは、やはりこれは椛目は日本一だなと思うんです、ね。ですから私は言いよりました。もうこれは布教所でいいと私は思う。わざわざ教会にならなくても。その代わりに、布教所では合楽が日本一というようなことになってこなければならない、ね。
そして、内容が充実いたしまして、本当に合楽、合楽の金光教の教会がです、日本一と言われるくらいなです、おかげを頂かせて頂くことこそ、ね、教祖金光様もお喜びであり、天地の親神様もまたそれが願いでもあるということを私共が明記しておかなければなりません。
御挨拶が長うなりましたけれども、どうぞ皆さん、本気で、ね、神様の御悲願に応えさして頂けれる信心に進ましてもらう、ね。それは一生懸命の修行も大事、思いも大事、御用も大事だけれども、何というても自分自身の真実の改まり、今日皆さんに景品に、頂いていただいております、この長いあれは、あー、短冊でございます。私が下手な字を書いております。
それには、あー。「信心は家庭に不和のなきがもとなり」という教祖の神様の御教えを書かして頂いたのでございますが、ね、「家庭に不和のなきがもと」ということと、もう(こっとり?)とも言わんというだけじゃいかんのです、ね。信心でお互いがです、有り難い拝み合いの生活ができるということ。本当に、私が悪かった私が、いいやあんたじゃなかった、私が悪いんだというような、中からしかです、私は真実の、家庭の和でありますから、ね、家庭の平和は生まれてはこない、ね、家庭の平和なしに社会の平和はありません。日本の平和はありません、世界真の平和ももちろんありません。
と、祈るところは世界真の平和、全教一新して、全教一家と三代様は仰っておられました。私はもう合楽に参りましたのは、このことの、を椛目のひとつのスローガンといたしまして、ね、もうそれは何様でもいいじゃないか、ね、創価学会でもいいじゃないか、ね、天理教でもいいじゃないか、キリスト教でもよいじゃないか仏教でもよいじゃないか、本当に生き生きとして助かられる、本当に助かっておるならば、教えをもとにして、家庭円満のおかげを頂いて、社会に貢献しておられるならそれでいいじゃないか、ね、そういう宗教人が手に取り合うて、世界の真の平和を祈らしてもらい、今こそです、世界の平和を祈らなければならない時は、またもなかろうと私は思うくらいに、こんな状態ではとこう思うのでございます、ね。
宗教人、皆がです、金光教だけじゃいけません、あらゆる宗旨宗派の者がです、本当にその、宗旨宗派の御教えなり、ね、その教訓をもってです、その身が助かり、家が助かっていき、して終われるような、生き生きした働きをもっておる教団であるならば、あー、宗教であるならばです、ね、そういうようなものがです、皆がひとつ手を取り合うて、世界真の平和を目指さしてもらう、(そうぎ、ぎねん?)になっていかなけばならん。それにはもう大変なこと、何故って、とにかく宗派同士があんな宗派じゃ、邪教だ。あんな宗派は駄目だ。うちのところだけがほんなもんだという、宗教人同士がしりのけぞっているようなことではいよいよ駄目です。
まして、金光教のお道の中でです、これは甘木の関係じゃないか、これは久留米の関係ぞというようなことがです、あっては、なおさらできないと私は思うのでございます、ね。そういう意味合いにおいての、私は一粒の種になりたいと念願しておるのでございます。お祈り添えをお願いいたします。有り難うございました。
明渡 真(7/12)